Essay [The calm watching group of "THE LEGEND OF ZELDA : OCARINA OF TIME"]

 【エッセイ】

 『ゼルダの伝説』静観派

 1998 渡辺浩崇

  ファミ通で史上初めて40点を取り、各所で絶賛されているゲームソフト『ゼルダの伝説 時のオカリナ』。
  これは、そんな完全無欠のソフトに対して覚えた違和感の正体への探求の記録である。

1998年
11/24

ゼルダの伝説は、個々の要素を取ってみればゲーム的快楽としては特別優れているとは言い難い(水準以上であることは言うまでもないが)。
となれば、「ひとつの箱庭的世界の中でなんでもできる」という網羅性が、ゼルダの伝説の特質ということになる。
そう考えたとき、はたしてこの網羅性が今までになかった新しいゲーム的快楽を生み出しているかというと、そうでもないように思える。
行動可能な選択肢がある程度限定された空間の中で、解を求めて様様な可能性を試していき、その解を見つけて快感を得るという基本的スタイルは、すでに前作までで確立されていたものだ。3Dになったことで、より日常的推論がしやすくなったということはあるが。
ゼルダの伝説の意義としては、「今までのゼルダの伝説の路線(箱庭ひとり遊び)で究極のものを作っちゃいました」ということ以外、見当たらないのではないか。
今、世の中でこういうものを作れるのは、宮本茂氏以外にいない。
だからもう、ぜんぜん気にしないで、新しい方向性を考えていけばいいのだと思う。
あたりまえ過ぎてつまらない結論になってしまった。

11/30
知り合いから、押井守がゲームについて対談しているページを教えてもらい、見に行く。
押井守はそこで2つのことを言っていて、ひとつは、ゲームは本来大衆文化ではないということ。もうひとつは、キービジュアルがないもの(ゲームにしても映画にしても)見る価値がないということ、そして『ファイナルファンタジー』にはそれがないこと。
確かにそうかもしれない。それで、『タクティクス・オウガ』にはそれがあることが、記憶に残っている。

12/1
ひとつのシーンを形成する力のあるゲームを作ることが目標。
シーンていう言葉は、電気グルーヴの本の中で石野卓球が使っていた言葉で、これだ!と思った。今までは「そのゲームをプレイするものの集合」とか「偽現実」とか言っていたが、シーンという言葉なら一般性を持たせて伝えられると思った。

12/7
人に話を聞く。その成果は以下の通り。
カメラの概念はファミコン版のスーパーマリオのときからあった。
そのまえのモナコグランプリのときからあった。
ゼルダの伝説の特徴は網羅性ではなく、3Dになって初めて表現できるようになった感覚。
物音に振り向くと敵が後ろから襲い掛かってきている感覚。巨大な敵を見上げる感覚など。
なるほど。

12/9
クイックジャパンの岩谷徹氏のインタビューを読む。
『マインドシーカー』って、この人がプロデュースしたんだ!
感じたのは驚きと、親しみ(笑)。
なんでも、世に出てくるゲームが、スキーやらレースやらのシミュレーションになってきてしまっていることに不満を感じ、なにか現実の模倣以外の題材はないのかと考えて超能力にいきついたらしい。
パックマンとかリブルラブルみたいな抽象度の高いゲームを作っていた人だけに、分かる気がする。そうそう。俺も作るなら、抽象度の高いゲームがいい。

12/11
押井守と森本晃次の対談の第2段を見る。面白い。
スーパーマリオもバーチャファイターもボタンを押して気持ちいいという、面白さの質は変わっていないという話には、共感した。
そうか。やっぱりそうなのか。
最近気づいたのだが、俺ほんとは箱庭ゲームが嫌いだ。
だから今度出たゼルダの伝説も面白くなかったんだと思う。
他人の手の平の上で遊ぶということにそれほど興味を持てなくなってしまったのだろう。
で、その路線で最悪なのが、『アクアノートの休日』と『太陽のしっぽ』。ゼルダとかマリオとかはまだ「サービスするから遊んでいってよ」というエンターテイメント精神があるのだが、前述の2つにはそれはなく、ただ、「オレの手の平の上で遊んでいけ」という感じでボテッと置いてあるだけ。思わせぶりなアートくささで誘っているだけで、中身は質の悪い箱庭。べつに新しくはない。それに輪をかけて最悪なのが『LSD』というやつ。
昔のゲームは、閉じた世界のようで、実はどっか異世界につながっていた。ただの箱庭ではなかった。と思う。
異世界とつながったゲームを作りたい。俺の作りたいものはそれだ!
問題は、そんなもんどうやって作るのか? だ。

12/13
64の007ゴールデンアイをポイントで買う。クソゲーだった。
なぜこんなものを買ってしまったかと言えば、自分の中で何かとっかかりになるものが欲しかったから。
最近、あてもなく売り場を歩くことがある。
しかし、売り場を歩いても、欲しいと思うソフトがない。
以前『だんじょん商店会』や『マリーのアトリエ』に似たソフトの企画を何本か書いたことがあるが、もうダメだろう。何か別のゲームの一部を取り出したり、編集したりして作るものは、広がりがない。ゲーム内の出来事を原体験にしたゲームだから客層も狭めるし。
DJやVJを題材にしたビートマニアや実車を題材にしたグランツーリスモはもっと広いところをねらっている。

12/21
箱庭ではないゲームについて考える。
以前は、題材によって箱庭を超えられると思っていた。
これは今でもできるかもしれない。でも…
話題飛ぶ。
ボタンを押すことにどんな思いを込められるようにするかが、これからのゲーム作りには重要なのではないかと亙重郎氏は言った。バーチャロンは、“プレイヤーが自分を表現するためのシーンの生成装置”として機能することを目的に制作され、その試みはある程度の成功したと思う。しかし、俺的には、それって結局“スポーツ”と同じになっちゃわない? という疑問がある。俺、スポーツ嫌いだし。
…っていう浅はかな見方に対して、誰か反論してくれないかなと思って、こういうところにこんな駄文を露出してるんだけど。ホントは。バーチャロンの副読本『SCHEMATIC』の富野由悠季氏と亙重郎氏の対談を読む限り、なんかもっと違うところを目指してるんだろうなということは漠然とは思うんだけど、よくわかんないんだよな。俺の頭じゃ。

12/29
『ゼルダの伝説』をやりたくない理由がついにわかった!
それは非常に青臭い理由だった。
それは一言で言うと「面白くて遊びやすけりゃ皆遊んでくれると思ったら大間違いだぞ」という理由だった。
俺は何でゲームをやるのか? どんなゲームをやりたいと思っているのか?
ということを考えると、それは、“日常とは違う濃密な時間を体感したいから”ということになる。濃密な時間=充実した時間。何か目標に向かってグイグイ引っ張っていってくれるものに、引き込まれて無我夢中で突き進んでいける時間だ。それに没入することによって、現実世界のルールから一瞬解放される時間とも言える。そんな求心力を持つ目標とは何かと考えると、それは紛れもなくあの“意味”というやつだ。
また、意味の壁にぶつかってしまった。
以前は、それを“現実に持ちこめる利益があればいい”とか考えていたが、それだと、じゃあ知識満載の教育ソフトが一番いいじゃんということになりかねない。イマイチ自分自身納得し難い理屈だった。しかし、そのゲームをやる意味ってどこにあるのかなんて、はっきり言ってよくわからない。もともとないのかもしれない。
今この時を、楽しく過ごすためだという見解が一番無難な気がするが、果たしてホントにそれでいいのか?という気もする。あんた何のために生きてるの?という問いと同じことなのかもしれない。で、その問題は、無視されたままになっているのがゲームの現状だ。作っている方も、そんなことはまったく考えていないに違いない。
そこだ。
それがなんか許せない(だから青臭いといったのだが)。「われわれはもう大人だから、そんな問いかけはもう卒業して、面白さとか遊びやすさとか(=品質)をとことん追求して製品を作ってます。」というのが、任天堂のゲームじゃないか。俺がもっと手前で考えてるのに、お前らは無視しやがって!という腹立ちがある。
その辺がある程度バランス取れているのが『タクティクス・オウガ』のような気がする。
で、どういうゲームを作ったらいいかと考えたときには、そういうグチャグチャしたものを反映できるようなモチーフのもの探すということをやればいいのかもしれない。
で、理由については考え続けると。
まあ、ゲームにそんなの求めてるやつなんていないのが現状で、だから誰も考えてないのかも知れないけど。でも、そういう根本的な話って結構強烈だから、うまく混ぜられれば引かれる人も多いはずだと思う。入れ換わりの激しいファミ通の“好きなゲームランキング”にもう何年もずっとタクティクス・オウガが入っているし。

前にゼルダを何でやりたくないのかを考えたときに、“敗北感を味わいたくない”という理由を思いついた。これは、“あるゲームに熱中する人よりも、そのゲームを作った人の方が、人間的に上”とする考え方によるもの。これも、そういう問題を無視してるやつらの作ったゲームに熱中してしまうことが、自分の考えている問題点を無視しようとすることだと心の裏では思ったからかもしれない。


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 日本偽現実工学会会報 [The Bulletin of Japanese Fake Reality Engineering Society]
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