Novel [The Last Spurt Diary]

【小説】

追い込み日記

田村耕三


【5月編】 【6月編】 【7月編】 【8月編】

1998年5月2日
思い起こせばこの2ヶ月半、追い込みが続いている。
というか、一回終わったのだが、再び新たな追い込みに突入してしまったのだ。
しかし、よく考えてみれば、人生そのものが追い込みなのではないだろうか?
何かを追い込みつつ、何かに追い込まれる。それが人生だとも言える。
そういうわけで今日からスタートしたこの追い込み日記。
今日の議題は「ごっこ遊びは生きるための糧となりうるのか」という問題だ。
わたし的には、ごっこ遊びは生きるよすがにはならないと思う。
いや、純粋にはなると思う。
私の考えでは、ゲームというのは、現実世界のルールとは異なるルールを作り、そこに没入することによって、現実世界のルールから一瞬解放されることを目的とした遊びだ。
だからごっこ遊びも、その一種だと考えればいいからだ。
しかしこれは、ごっこ遊びと、現実世界とを等価に考えられる人だけに当てはまるものだ。
わたし的には、やはり、現実と虚構の境界をなきものにする幻想というのが、いちばんの生きるよすがになるものだと思う。言うなれば、異界から生きるための力を吸い上げる仕組みだ。実は過去、宗教というのがそれをそのままおこなって来たのだが、神様が死んでしまった現代では、偽神様を信奉しなければならないので、いまいち万人向けではない。
大人も遊べるポケモンというのはできないだろうか?
今、『ポケットピカチュウ』という商品が売れている。万歩計と育成ゲームが合体したものだ。また現在、かなりの数の人間が携帯電話を持っているが、将来的には、モバイル機器とつながって、GPSともつながって自分の行動すべてを加工しやすい情報としてモニタリングできるときがくるだろう。その情報を使って生き物やらロボットやらが育ち、しかも、エージェント技術によってソレが他人のマシンに出かけていったり、賞金がかかったバトルをやったりして勝った賞金が自分の口座に振り込まれている。というのはどうだろうか?
なんか自分でもよく分からなくなってきたのでこの辺で終了。でもなんなんだこの日記は。

バーチャロン(以下略)

1998年5月16日
フロッケというものに赴く。
主目的は次の手の参考になるものがあればいいなあということだったが、期間終了間際だったこともあり、ダメ度が高かったように思う。
マックのソフトばっかりだったし。
しかし、前から注目していた「なすび画廊」の行動記録小冊子を入手できたので、よしとしよう。

1998年5月17日
前々から思っていたのだが、できれば私も火炎ビンを投げてみたかった。ああ60年代。
インドネシアのニュースを見て。

1998年5月18日
オヤジ必見の最新トレンド情報番組「トゥナイトU」を視聴する。
そしたら、なんと自分のトレーディングカードを作れる自販機が発売されたらしい。
これはスゴイ! これさえあればもうマジック・ザ・ギャザリングやポケモンカードなんて 買わなくていいじゃないか!
やはり自分の生命力とか技とか、必要マナとかが印刷されているのだろう。
この辺はもしかしたら、パラメーター振り分け制で自分で自由に設定できるのかも知れない。
それにやはり、自分のカードだけ出て来ても面白くないので、過去151人分くらいのデータがひとまとまりになって第X弾というように記憶されていて、その中からランダムで10枚くらい出てくるのだろう。
「オレ、第1弾のミヤザワがなかなか出ないんだよ」とか「第3弾のオレのカードと第1弾のキバヤシを交換しない?」といった感じで話もはずむだろう。
人間の欲望はどこまで果てしないのだろうか…。

1998年5月19日
今日は初めてセーラー服を着たまま電車に乗った。
朝の埼京線は殺人的なラッシュなので、意外と誰も気付いていないみたいだった。新発見だ。
出勤途中に高校(偏差値・低)の前を自転車で通ると、おしろいベッタリ&水色のアイシャドーというメイクの茶髪女子高生とすれ違った。でも顔の造形はおかめ顔だった。しかも表情が生活に疲れた中年のおばさんだ。
安室奈美恵も子供産んで喜んでいる場合ではない。基本的に世の中にこういうのが1人増えるだけなのだから。誰もがさぶちゃんみたいになれるわけではないんだよ。

1998年5月20日
あいかわらず先の見えない追い込み生活。というのは皆同じだ。
しかし年中無休はまったく問題ないとしても、それを計算に入れて計画が立案されているのでかなり危険度は高い。週に1日2日は休みがあることを前提として計画を立て、遅れた分をその日を使って補うという形が本来はベストだ。でないと不測の事態が起こったり、臨時の仕事が入ったりしたときに対応できない。今後はその辺を考えていく必要があるだろう。

1998年5月21日
日経新聞の一面広告で長篠の合戦の武田軍みたいな写真が出ていた。
だだっ広い草原に鎧武者の死体が累々と横たわっているのだ。
何かと思ったら「セガは倒れたままなのか?」というキャッチコピーが!
どうしたんだセガ! 最近ヘンなテレビCMもやってるし…。
と思ったら、今日は次世代マシーンの発表日。
その広告の下の方には「明日の広告につづく(予定)」とあったので
多分明日(もう今日か…)の広告に、
“実はこんなにスゴイ軍勢を整えてました。これで再起をはかるぜ”
みたいな広告が載るのだろう。
しかしよく見ると、落ち武者の顔が前の社長の顔に…似てませんでした。

1998年5月22日
昨日の話の続き。案の定、今日の日経新聞の朝刊にセガの落ち武者広告の続編が!
しかし、新たな軍勢を整えて準備万端という写真ではなく、
草原に横たわっていた鎧武者の死体がそのまま起き上がって、みんなで空を見ている写真でした。
もちろん、めでたく起き上がった死体には、矢とか槍とかがたくさん刺さっています。
どうしたんだセガ! そんなんでいいのか? 矢とか槍とか抜かなくていいのか?

追い込みの中、ミーティングが開かれる。議題は掃除をどうするかといった些細な事。
人員増幅計画も話し合われるが、給料をもっと出さないと人は集まらないだろうというところに落ち着く。
ファミ通PSに某3Dの紹介記事が1ページ載っているのを見て大変喜ぶ所員約1名。
これであと2年は生きられると語っていた。

1998年5月23日
重大なミス発覚。
セガの落ち武者に矢は刺さっていたが、槍は刺さっていなかったことが判明。
関係者の方々に多大なご迷惑をおかけしましたことを深くおわび致します。

布袋寅泰のゲームを見る。基本はパラッパと同じであった。
しかしこれ、ギターではなくて、ボーカルでできれば面白いのだが…。
マイクコントローラーにタイミングよく息を吹きかけると、布袋の声で歌が歌われるみたいな。
3D版たけしの挑戦状のカラオケシーンのシステムはそれしかないな…採用!

映画紹介番組をちょっと見る。スピルバーグ製作の地球滅亡ものの大作が公開されるらしい。
…しかし、駄目なんだよ。ぜんぜん見たくない。そういうところで人間ドラマが繰り広げられてもしらじらしくて…。
問題はそういうカタストロフが来ない(または緩慢に訪れる)世界で、どう生きていこうかということのはず。そういうのに役立つ幻想を見せてくれなくちゃ。またはそういうのが馬鹿馬鹿しくなる視点に立てるものを。ていうか、自分でもそういうのを作りたいんだけど、キティちゃん(仮名)のゲームでどうやったらそれを表現できるのか、ぜんぜんわかんないんだよな(笑)。

1998年5月24日
実は私は身長が165センチしかないことに大変コンプレックスを持っていた。
そこでこの際、毎日1リットル牛乳を飲むことに決定。早速実行に移る。
結果、第1日目ということもあり、6mm身長が伸びていた。
おそるべし牛乳パワー。この調子なら、来月までに180cm突破も不可能ではないだろう。
請うご期待!

1998年5月25日
昨日の成果をふまえ、調子に乗って牛乳を2リットル飲んだら、身長が一気に15センチ伸びた。
あまりの喜びに跳ね回っていると、足に激痛が!
すぐに病院に行って医者に見せたが、「……これは前にスーパードクターKでやってたあの病気ですね…すぐに手術しなければなりません」と告知され、仕方なくゴーサインを出す。
結局、背はもとに戻ってしまった。牛乳もドクターストップがかかってしまった(ヨーグルトなど他の乳製品はOK)。
世の中なかなかうまく行かないものだと思う。
話は変わるが、プログラマーが1人増えることになった。これで総勢プランナー3人(笑)・プログラマー3人になる。
あの給料で来てくれるとは、世の中もまだまだ捨てたもんじゃないと思う。
というか、かなり奇特な人だ。しかしうちは給料が手渡しなので、ちょっとヘボカッコイイのだ。

1998年5月26日
某社の成功請け負い人みたいな人と会見。
大変勉強になりました。
その分追い込み作業は少々遅れたが、それに見合う収穫あり。

1998年5月27日
今日からいよいよワールドカップが開催される。さすがはフランスだ。
時差の関係で埼玉だけは早く見ることができるということだ。
さあ注目の第1戦。まずは日本VSベルディ。
ラモスのセンタリングを、カズが得意のオフサイドボレーで決める!
しかし後半20分。中田の突然のマシンガン馬口撃ちにより、一気に逆転。
判定の末、引き分けとなった。
お互いの健闘をたたえ合うイレブン。さわやかな光景だ。
これだからスポーツ観戦はやめられない。

1998年5月28日
USゴジラを見る。
ゴジラという存在の馬鹿さ加減を改めて見せる演出が光っていた
(博物館でティラノサウルスの模型を踏み潰して登場したりとか)。
しかしメカゴジラのデザインがいまいちだった。
いまどき目の部分がコックピットになっているなんてひねりがなさすぎる。
ミニラは日本版そのままだったし…。

1998年5月29日
しかし今の所は規模は小さいが某大手会社と関わりが深いため、夢のような話が話が舞い込んで来ては消えてゆくというイベントが非常によくあってエキサイティングだ。
今日も今日で急にすごい話が舞い込み、「俺の人生最大の壁だ。これでダメならもう出家するしかない」くらいの決意を固めていたところ、夜になって「やっぱあの話ナシね」みたいな連絡があった。ヘナヘナ〜。
ここに来てから世間ズレ度の上がるスピードがだいぶ加速している。良い傾向だ。
ここに移って来て心の底から良かったと思う。
こんなこんなで追い込み作業はほとんど進まず。

1998年5月30日
私は今までいろいろなものを批判して来た。
USゴジラ・ワールドカップ・牛乳・セガ・スピルバーグ・現内閣の経済政策・パキスタンの科学実験・安室奈美恵・フロッケ・布袋寅泰などはそのほんの一部だ。
しかし、では何だったらいいのか?
ズバリ言おう。
それは『少女革命ウテナ』だ(笑)。
演出がめちゃくちゃカッコイイ(これ一言で終わらせてしまうのは手抜きだが今は追い込み中なので)のである。音楽も最高に良い。
話も次の展開を見たくなるくらい面白い。1クールごとにいちいち終わってもいいような展開に無理矢理持っていき、そしてよく分からないまま次のクールに進むといところが気になるくらいだ。
そして影絵少女や突然出てくる指アイコンなど、メタフィクション的な楽しみが満載なところもいい。
影絵少女というのはあれだ。ラース・フォン・トリアーの『キングダム』に出てくる皿洗い兄妹と同じものだろう。よくは知らないが『ツインピークス』にも、同じような役割のキャラが出ていたと聞く。
物語の外部にいて、物語内部の出来事を物語中で批評するキャラクター。物語の解釈が一通りにまとまらないようにし、メインの筋から離れた深読みあるいは誤読を誘発させるために混入する意味ありげな無意味情報。こういった遊びは10年前くらいに『薔薇の名前』などの小説で試みられていたものだろう(この辺のメタフィクション文学に詳しい方で、この文章に間違いを見つけた方がいらっしゃいましたらメール下さい。あと、トマス・ピンチョンについて分かりやすく解説しているサイトをご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです)。
私はこういう遊びが好きで、押井守の「迷宮物件」や「トーキングヘッド」はとくに好きだ。
一度こういう要素をゲームに入れてみたいと思っている。

1998年5月31日
書くことなしハナゲ。
ちなみに夢のような話シリーズは新章に突入。


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 日本偽現実工学会会報 [The Bulletin of Japanese Fake Reality Engineering Society]
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