Review [GROOVE JIGOKU V]

 【評論】

 グルーヴ地獄X(1998)

 1998 鈴元直也


「グルーヴ地獄X」は1998年1月に株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントから発売されたプレイステーション用ソフトウェアである。内容は基本的に、音楽を作るソフトだと言えるだろう。といっても、シーケンサーのように1から曲を作っていくのではない。用意されている短いフレーズやドラムパターンを組み合わせ、それに即興でエフェクトをかけたりパターンを切り替えたりしながら演奏するという音遊びソフトというべきものである。 プレイステーションを一種の楽器として使うというコンセプトのもとに作られたこのソフトは、先行の「DEPTH」とともに、非常によくできた音楽ツールであると言える。家庭用ゲームマシンでも音楽を作るソフトはいくつか発売されているが、通常のシーケンサーの機能削減版という感じであり、マニアック過ぎて素人が気軽に使って遊ぶのには適していない。そいういうソフトを使いこなせる人であれば、はじめからパソコンのシーケンサーを使うであろう。その点、この「グルーヴ地獄X」や「DEPTH」は曲を作るのではなく、ありものの音ネタ(短いフレーズやドラムパターン)を組み合わせて自分なりの音楽を作っていくというシステムになっているのでとっつき易い。作曲とは一味ちがった、DJ的な楽しみ方ができるソフトなのだ。

だが、それだけならばただのよくできた音楽ツールであり、ここでとりあげられることはなかったであろう。そう、このソフトはただの音楽ツールではないのである。
ではこのソフトの本質とは一体どこにあるのか?

まず先ほど述べたように、このソフトは、ありものの音ネタを組み合わせて自分の音楽を作って遊ぶソフトである。しかし、その音ネタは用意されているものが最初からすべて使えるわけではない。というよりむしろ…

最初はほとんど使えない状態にある。

つまり、ツールとしてはほとんど役に立たない状態にあるのだ。
ではどうすれば、それらの音ネタを使えるようになるのか?!
使える音ネタを増やす手だてはひとつしかない。それは…

ガチャガチャをやって当てることだ。

しかも、ガチャガチャをやるには、1回ごとに100エンの資金が必要になる。
その資金を稼ぐために……

ミニゲームをやるのだ。

ツールソフトであるにもかかわらず、最初の状態ではツールとしてまったく使えず、ひたすらミニゲームをやるはめになるなど誰が考えるであろうか。しかも、ミニゲームで稼いだ資金の効果もガチャガチャという博打性の強い機械に頼らざるをえない。しかもご他聞にもれず、同じ音ネタばかり出たり、「クモ」やら「ブキ」やら「キンケシ」やらのなつかしいアイテムが続々と出てきてくれるので資金は減る一方だ。

ミニゲーム自体は、過去にあったオーソドックスなゲームをちょっとバカバカしい演出で味付けしたもので、どれも結構よくできているのだが、その中でも、過去のゲームのリメイクではなく、ひときわ異彩を放っているミニゲームが…

「ボールペン工場」

画面に流れてくるボールペンに○ボタンでひたすらキャップをはめていくというもので、これを聞いて「え? なにソレ」と疑問を持つ方々の予想通り、

これはゲームではない。

なにしろ、ただひらすらボールペンにキャップをはめていくだけなのだ。
制限時間もなく、じゃまする要素もない。
ゲーム性などない、純粋な“作業”だ。
しかし、なぜか楽しいのである。

スタートボタンを押すと、モノクロで描かれた薄暗い場末の工場がぼんやりと画面に現れる。カベにはロシア語らしき文字で書かれたよくわからない標語。そこに突然、戦時中のような硬質なサイレンが鳴り響く。さあ作業開始だ。
ポリゴンでキレイにモデリングされたポールペンが目の前にならぶ。○ボタンを押してキャップをはめ、×ボタンで列を送って次のボールペンのキャップはめに取り掛かる。ふたたび○ボタンでキャップをはめ、×ボタンで送る。むっ! 今度のボールペンは上下逆さになって流れてきた。これは方向キーの下で書く部分を上にし、○ボタンでキャップをはめる。
このキャップをはめるときの音がまたイイ。カポッという感じの非常に心地よいサウンドだ。 ×ボタンでボールペンの列を送っていくとき「ギュイーン」というモーターの音もかなりカッコイイ。しかも、そういった効果音の背後で、ロシア語らしい言葉でおっさんがなにやらブツブツつぶやいているのである。よく聞いていると途中にため息も聞こえてくる。
そんな世界にひたりながら、黙々と作業を続けていると、いつの間にか1000本のボールペンにキャップをはめ終わっている自分がいた。(ちなみにその後、ボールペン工場の社長にスカウトされ、その話に乗って入社したら突然ゲームオーバーになった)

このゲームはコンピューターゲームが持っていた楽しさの原点が、操作することの楽しさであることを再認識させてくれる。ロードランナーの面エディット機能で、金塊だけをやたらにたくさん置き、それを取っていくだけで楽しかった体験を思い起こさせてくれるのである。 コンピューターの性能が上がり、その資源をもっぱらゲームのボリュームや演出、システムの複雑さを高めるために使ってきたゲームの中で、その資源を純粋に操作することの楽しさを増幅するためだけに使っているところがこのボールペン工場の凄いところだ。
ゲーム性云々という理屈を通り越して、すでにそこに楽しげなボールペンが存在してしまっているという事実。私はこの事実を目の前にして、そういうのもアリなのか、これでもいいのかと、ゲーム作りの深さを改めて考えさせられると同時に、少し気が楽になったりもした。結局、理屈よりも“楽しければなんでもアリ”なのがゲーム作りなのだろう。

もうひとつ特筆すべきなのが、このゲームが素朴な経済システムとして成り立ってしまっているというところだ。RPGはその世界がひとつの経済システムとして成り立っている。戦闘で敵を倒すとお金を得られ、その金で武器や防具などの戦闘に役立つモノを購入したり、戦闘で消耗した体力を回復したりすることができる。さらには、強い武器や防具を買うこと自体が戦闘への動機づけにもなっている。これは「戦闘」がひとつのシステムになっていると同時に、「戦闘」をとりまく経済システムがゲーム性を多層的なものにしている例である。
ミニゲームのようなポッと出のアイデアだけでこのような多層的なシステムを作り出すことは難しい。過去にもミニゲーム集が発売されたことはあるが、ただバラバラにミニゲームを集めただけでプレイする必然性や目標がないものが圧倒的に多い。唯一、セガの「タントアール」が、細かくハードルを設定することによってゲーム展開にメリハリをつけ、システムに統一感を出すことに成功しているくらいである。
しかし「グルーヴ地獄X」では、“ツール上で使える音ネタを集めるための資金を稼ぐ”というきわめて現実的な目的があることによって、このシステムとしての統一性をやすやすと実現してしまっているのである。また、通常このような目的を設定すると「これはゲームじゃない。ただの作業だ! 労働だ!」という批判が出ることになるが、「グルーヴ地獄X」ではゲームの内容自体を「ボールペン工場」とか「交通量調査」などという労働的なものにすることによってそういう批判を無効化している。つまり、「はい。そのとおりです」と開き直っているのである。システムの多層性云々という理屈を通り越したこの強引さがまた、ゲーム作りの深さを改めて考えさせられる。ちなみにミニゲームパートのタイトルは…

「バイト地獄」である。

このソフトの特質は通常、アイデアを構成してディレクションを手がけた「電気グルーヴ」の独特なセンスだと考えられているが、それもさることながら、私は以上に挙げたゲーム作り上の強引さにもかなり衝撃を受けた。
このソフトは「音楽ツールでありながら、それを乗り越えてひとつの小宇宙を形成してしまっている」ところに本質がある。既存の音ネタを組み合わせてオリジナルの音楽を作るというのがこのソフトの機能だが、このソフトの世界そのものも、いままでに存在したさまざまなテレビ番組やゲームやマンガから取ってきたネタのコラージュであり、その自己相似性がまるでフラクタル図形や曼荼羅のような底無しの空間を幻視させてくれるのである。


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 日本偽現実工学会会報 [The Bulletin of Japanese Fake Reality Engineering Society]
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