Review [Mindseeker]

 【評論】

 マインドシーカー(1989)

 1997 鈴元直也


『マインドシーカー』は1989年に株式会社ナムコから発売されたファミリーコンピュータ用のゲームソフトである。いや、正確に言うとゲームソフトではないかも知れない。なにしろ“超能力を養成するためのソフト”だったのである。
いったい、どのようにして超能力を養成するようになっていたのだろうか?

このソフトで鍛えることができるのは、「透視」「予知」「念力」の3つの能力である。
まずプレイヤーは、案内役のエスパー清田君に超能力を使う際の心構え、体の姿勢、呼吸法などをレクチャーしてもらい、超能力の基礎を習得する。
その後、ゲーム内の架空の街を歩き回り、さまざまな場面で自分の超能力を試すことになる。その内容はというと「5つのドアがあるビルの前で、次にどのドアから人が出て来るかを当てる」ものであったり、「ガム玉の自動販売機で、次に出て来るガム玉の色を透視する」ものであったり、「ウサギとカメの競走でカメを念力によって走らせる」、ものであったりする。
各場面で課されたハードル以上の成績を出すと超能力ポイントが上がり、ポイントが一定以上になるとレベルが上がる。レベルが上がると、清田君から超能力や宇宙人についてのウンチクを聞くことができ、さらに街の中で行ける場所も多くなっていく。このようにしてゲームは進行する。

ではそろそろ、本題である『マインドシーカー』のどこが異界との通信なのかという点に入ろう。
まず基本的なところだが、そもそもファミコンに
超能力を認識する機能はない。
筆者はファミコンソフトの開発を行ったことがあるが、マニュアルにそんな機能の説明はなかった。というより、もともと念力・透視・予知能力といった超能力は科学では解明されていないので、超能力を認識する機械など作ること自体が不可能なのだ。
ではマインドシーカーはどのような仕組みで超能力を感知していたのであろうか。
当研究室はその仕組みを調査した。その結果、次のような結論に至ったのである。

順を追って説明すると、まず、乱数を使っていたのは確かである。
しかし、果たして乱数を使って超能力のテストができるのであろうか?
「透視」に関しては、まあよしとしよう。“あらかじめ乱数で用意した答えを透視で探り出す”のは透視と言えるかもしれないからだ。
「予知」に関しても、同様である。プレイヤーが答えを入力した後に乱数で答えを発生させるようなプログラムになっていれば、予知と言えるだろう。
問題は「念力(サイコキネシス)」である。これに乱数を使っていたということは、プレイヤーの超能力とは関係なくゲームの成績がきまるということになってしまう。
これは正真正銘、インチキではないか?
だがそう決める前に、もう少しよく考えてみることにする。
まず、コンピューターには本当の意味での乱数を作ることはできない。コンピューターにできるのは、一見でたらめな数字の羅列に見えるような擬似乱数というものをつくることだけである。しかも、この擬似乱数も、同じアルゴリズムと初期値を使う限り、毎回同じ順番で同じデタラメな数を作り出すことになる。
よって、この現象を避けるために、毎回初期値を変えるような仕組みが必要になる。
通常のソフトではこのために、プレイヤーがキーを押したタイミングを初期値に反映させている。ゲームマシンでは、1秒間に60回というスピードでキー入力の判定を行っているため、毎回全く同じタイミングにキーが押されるということは、まずないからだ。
マインドシーカーでは、これが「念力」の判定に使われているのである。
つまりこうだ。
プレイヤーは画面上のある物を動かそうと念じる。その念じ方によって、ボタンを押すタイミングが微妙に変わり、そのタイミングが乱数の初期値を決定し、その初期値をもって作られた擬似乱数の値が画面上に表示されているの物体を動かすか動かさないかの判定に使われるというわけである。
かなり複雑な仕掛けである。ファミコンでここまでやるとは、さすがはナムコと言えるだろう。

というのはウソだ。
よく考えてみると、不明な点が多いのである。
判定に合う特定の数値になるようなタイミングに合わせてボタンを押している、つまり無意識の内にプログラムを読んでいるという意味なら、これは実は透視の一種なのではないかという考え方もできる。あるいは、特定の数値が出るようなタイミングを無意識に予知してボタンを押しているという考え方もできる。まだまだいろいろな考え方があるだろう。
これらの事例を総合して導かれた結論はこうである。
「よくわからない」
そもそも、予知・透視・念力の定義がはっきりしていない。
コンピューターの中の回路の電気的状態を読み取る(といっても目では見えない)のは、透視になるのか?
予知にしても、プレイヤーの入力が乱数の系列に影響を与えているのだから、それを当てても別に予知にはならず、むしろ前述の念力判定プロセスと同じなのではないか? いや、その念力判定処理は、透視かも知れないし予知かも知れないのである。だが、その予知の判定は念力の判定と等価かも知れないわけだし、よく考えると、すべて透視という線もありうるのではないだろうか? しかしコンピューター内の記憶素子の電気的状態を読み取るのは透視と言えるのかどうかよく分からない……。
そもそも、科学で捉えられないものを機械で測定しようとしても、それが本当にそれなのかということ自体分からないわけであるし、この文章自体もいまいち意味不明である。

そして、ポイントはそこにあるのだ。

正体はおろか言葉の意味すらよく分からない現象を起こす能力を、動作原理が不明な機械で測定しつつ鍛えるということはいったい何事なのか。
それこそが異界との通信なのである。
このソフトは、現実には存在しない力を幻視させてくれる空間、つまり異界としての機能を持っている。プレイヤーはそこにアクセスし、未知の力を身につけようとしているのである。
実際には存在しない力を幻視し、その能力を磨くつもりになることによって現実の見え方を変えようとすること。しかもそれは決して成就しないようなシステムになっており、その幻想を永久に疑わなくてよいということでもある。現実と自分との関わりを、異界と自分との関わり合いのまずさに封じ込めることができるのである。
曖昧模糊とした異界の力を目に見える形で提示すること。それがこのソフトの機能であり、それにはかなり強引な手法を取らざるを得ない。それが、このソフトがよくわからない理由だったのである。
ちなみに、筆者は発売日に買った。


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 日本偽現実工学会会報 [The Bulletin of Japanese Fake Reality Engineering Society]
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